会社のWEBサイトのリニューアル。社員全員を巻き込んだプロジェクトになっていて、これまでの棚卸しのような、そんな役割もはたしているんじゃないかと思います。とても良い動きだなと見守っていました。このプロジェクト、じつは僕は指示していないんだよね。自主的にはじまっていた。次第に社内に広まっていって、全員参加型の進行になった。もちろん相談は受けていたし、アドバイスのような、要望のようなものは伝えていました。でも、基本おまかせ。僕はつねづね、自分で責任をもってやってほしいと伝えてきました。うるさく言わない。だから責任をもって、やりたいことをやればいい。その精神が伝わったような、そんなうれしさを感じています。仕上がりについても、他の会社と違うことをしているんだというツー・ファイブらしい矜持を感じることのできるサイトになっていると思う。製作に関わったスタッフはお疲れさま。そしてありがとう。

 2000年。突然の起業だった。所属していた会社が吸収合併にあって、居心地が悪くなったんだよね。だったらいっしょにやってみるかと、初代社長の佐宗さんと専務になる浅井さんに誘われて。最後の勝負だ!とみんなで意気込んだ。佐宗さんが55歳のときに開業したので、会社名はツー・ファイブ。浅井さんが推薦した名前。佐宗さんは照れていたけど、リーダーとして支えがいのある人なんだよね。みんなもよく知っている思うけど。良い社名なんじゃないかなと僕は今でも思っています。3人で立ち上げて、制作スタッフも3人で合計6人での船出だった。とにかく忙しかった。前の所属会社時代より、良い思いをしよう!を合言葉にしていたから、がむしゃらだった。カプセルホテルに泊まり込んで、カタログとか出版物のDTPをやれるだけ詰め込んだ(もちろん、品質にも手を抜かずに一つづつ、丁寧につくっていった)いまここまでやっていたら怒られちゃうね。

 ツー・ファイブはずっと、美しい文字ヅメにすごくこだわってきた。情報の扱い方に、とても敏感な集団だよね。だからDTPにこだわってきたけど、WEBサイトのコーディングをはじめる社員が現れた。2007年かな。ひとつのサイトをまるっとつくりあげた。それを見て、ああ、印刷もデジタルも変わらないんだなと理解できた。情報を大切に扱うという信条は、メディアに左右されないんだと。同時に、大切なことを思い出した。写植からDTPに移り変わっていくとき、まだ誰も使っていないニューズキャスターカラーを導入して周りを驚かせたことを。この先に必ず必要になる技術だと、いち早くデータベースに取り組んだことを。そうだ。私たちは、暗闇に頭から突っ込んでいくDNAをもつ集団なんだ、と。いまはWEBもDTPもデザインも請け負う会社になった。おかげさまで良い評判もいただいている。良い会社に育っているという実感があります。

 僕はみんなの行き先を決めようとは思わない。自分の信じた道をゆけばいい。道は後ろにできるもの。暗闇の中を進めばいい。そうして、いつの間にか先頭の僕を追い越してゆく。そんな日が来ることを、僕は、いや佐宗さんも浅井さんも、夢みています。

レター写真